日本ディベート協会の歴史
歴代会長等からの寄稿


歴代会長からの寄稿

JDAという不思議な団体の20

会長 矢野 善郎

 私とJDAとの出会いは恐らく1989年に遡る。その頃私は大学英語ディベートの学生団体NAFAで活動していたのだが,プロポ委員会に学生委員として参加したり,日米交歓ディベートで来日した米国チームのイベントを開催したりなどした記憶がある。より本格的には,1992年に日米交歓ディベートの日本代表に選ばれた以降であろうか。2ヶ月にもわたる米国ツアーに参加させていただいた「ご恩返し」のつもりで理事として参加して以来,今日に至っている(我ながら長いこと「お礼奉公」しておりますな)。

 会長を務めながらこう述べるのも問題があるかもしれないが,そもそもJDAというのは,かなり不思議な団体である。その目的を無理矢理あげるならば,よりよきディベート活動を日本で広めることとでもなるのだろうが,実際には漠然としており,一体何が目的なのかはっきりと決まっている訳でもない。趣味のサークル活動とも言えるが,学会活動的とも言える。

 今でこそ色んなイベントも行っているが,当初は日米交歓ディベートをJEFAなどから引き継いだ他は,大学英語ディベートの統一論題の作成という二つの任務+?という程度であった。その後1994年より日本語ディベート大会や,初心者セミナー,国際議論学会議などが加わってきたのだが,それは当初からの目標というわけでは決してなかった。

 こうした漠然とした団体,しかも中心メンバーの誰もが本業を別に持っているような,営利性のないボランティア組織が,20年続いたことも実は不思議なほどである。見方によっては,20年もたっているのにこの程度しか大きくなっていないのかという批判も十分に成り立つが,まあこれだけアモルフ(無定形)な団体にしては,それなりに重要な貢献を日本に果たしてきたともいえる。

 大会やセミナーを通してディベートにふれることができた人も少なからずいる。またJDAの活動はイベントだけに限られるわけではなく,理事・会員によるディベートへの「コンサルティング活動」こそが,発足当初より日本にとってより重要な貢献をしてきたとも言える。JDAが関与した公共団体主催などのディベート大会やディベート研修などは無数にあるし,間接的な影響はさらに広がる。

 もちろんディベートが日本で広まったことの背景には,民主化・グローバル化などのもっと大きな要因が働いているし,実際のディベート活動は,各種のディベート・サークルや大学・高校などの献身的な努力によるものである。ディベート普及自体への,この団体独特の貢献と言える部分はしれている。

 が,ディベート活動が健全な形で機能しつづけるための「触媒」という側面で言えば,JDAの果たしてきた働きは,小さからざるものがある。私たちの団体は,確かに専業の会社組織でもないし,成熟した学術学会でもない。だがアモルフではあっても,ディベートについては決してアマチュアではない。またアモルフであるが故に,決して既得権益で判断することもないし,「教団化」し教条化するという落とし穴からも逃れやすい(ご承知の通り,ディベート活動というのは,井戸の中の蛙の合唱に堕する可能性が少なくない活動である)。

 20年間で「ディベート」というカタカナ用語は,日本語のボキャブラリーに付け加わってしまった。身勝手なディベートの増殖を抑制しつつも,ディベート活動を活性化するアモルフな触媒として機能し続けることは,これからもJDAに求められていると考える。

(やの よしろう JDA会長 中央大学助教授)



JDA創設秘話

初代会長(1986-1991)
松本 茂


 日本ディベート協会(JDA)は、19863月に日本ディベート協議会(JDC)という名称でスタートした。創設される半年くらい前に、現在でもJDA-MLで(とくに論題のことで)鋭い議論を展開されるあの蟹池さん(東大ESSOB)からお電話をいただいた。用件は、「(それまで大学ESS界の指導的な組織であった)JEFAが機能しなくなったので、ディベート界の発展のために新しい組織を創設したい。ついては、松本さんに初代会長になってほしい」ということだった。

 私は当時まだ弱冠30歳だったのでためらいもあったが、それまでに日本のディベート界に育ててもらったという恩義があり、しかもディベート教育界の発展を強く願っていたこともあり、了承し、その後6年間会長を務めさせていただいた。

 当初は、大学生の団体が主催する英語ディベート大会のために推薦論題を設定すること、日米交歓ディベートの実施などが主な事業内容であった。そして、2代目以降の優秀な会長たちのリーダーシップのもと、本協会も国際会議をこれまでに2回開催するまでに発展し、ここに20周年を迎えることができたことは大変喜ばしいことである。

 矢野・現会長のもと、日本語および英語ディベートの普及、議論学の発展、国際的なネットワークの構築といった課題に新しい発想で取り組み、今まで以上の成果をあげたいものである。会員諸氏の変わらぬご支援をお願いしたい。

(まつもと しげる JDA専務理事 立教大学教授)

 


JDA設立20周年に際して

2代会長(1992-1993)
中澤美依

 私が学生であった1970年代後半から80年代の学生ディベートは、当時一橋大学の顧問をしておられたホールマン先生と上智大学の顧問のハウエル神父様という二人のアメリカ人指導者によって支えられていたといっても過言ではありませんでした。大学や地域の垣根を越えて、お二人は、あらゆる機会を捉え、学生の活動を応援して下さいました。そのお二人の指導の下、設立されたのがJDAでした。中核メンバーには、学生時代に英語ディベートに明け暮れたディベート好きの社会人たちが集結しました。当時、上智大学で非常勤講師をしていた私もその一人でした。

 「ディベートの普及」を目的として設立されたJDAですが、設立当時の一番の課題は全国のプロポジションを統一することでした。20年前の日本でも、英語の競技ディベートは、すでに大学のESSが参加する活動として全国で大会が開催されていましたが、地域や大会ごとにプロポジションが違い、複数の大会に参加するのが難しい状況でした。また論題を大会運営する学生が作成していたため、議論の行方を十分に予想した上での設定ができず、質的な問題がありました。そこで、JDAでは、全国統一の推薦プロポジションを作成するために、毎週のように上智大学のクルトゥールハイムの一室に集まり、熱い議論を交わしました。たった一つの文言を巡り何週間も議論が続くこともありました。そして、夏休みや春休みには、理事のメンバーが総出で地域の様々なリーグのキャンプに参加して、ディベートの指導に飛び回りました。

 もう一つ、この20年の大きな変化といえば、日本語ディベートの普及でしょう。JDA設立当時は、ディベートといえば英語で、「日本語は論理的でないから、ディベートはできない」と信じられていました。日本語ディベートが、学校教育のカリキュラムにも導入され、当たり前のように実践されている今とは隔世の感があります。しかし、日本人の議論アレルギーというのは今なお根強く残っています。競技ディベートを離れて久しい私ですが、現在も公務員を対象としたディベート・セミナーを毎年開いています。そのはじめに「議論のお好きな方は手を上げてください」とたずねるのが恒例になっているのですが、200人の受講者のうち、手が上がるのは5名程度というのが現状です。

 二十一世紀にはいり、日本社会は大きな転換期を迎え、みんなで知恵を集め、考えなければならない問題は山積みです。「考える楽しさ」「共に議論する意義」を一人でも多くの若い方々に体験的に理解していただく意味で、ディベート教育の必要性はますます大きくなっていると思います。

 設立から20年、成人式を迎えたJDAのさらなる発展を心から期待します。

                   (なかざわ みより 平安女学院大学教授)

 


JDA20周年を迎えて

3代会長(1994-2000)
井上奈良彦

 私がはじめてディベートに出会ったのは京都大学に入学した1976年。当時は日本語でのディベートは皆無に近かったので、同世代の多くのJDA会員と同じように英語クラブESSにおいてディベートを学んだ。それからちょうど30年ということになる。このように長くディベートにかかわってきたのは、その社会的・教育的価値を認識するとともに、その知的楽しみに魅せられているからである。

 JDA日本ディベート協会(設立時はJDC日本ディベート協議会)においても発足当初から理事を務め今に至っているのはディベートが好きだからである。JDAは、また広く日本の教育ディベート界は私のような(いや、私以上の)ディベート好きが支えてきたということは否定できないだろう。ただ、このような「制度」には限界があり、常に不安定である。すでにディベートはビジネスや学校教育で相当に広がっていることを考えれば、JDAがなくても存続していくのかもしれない。おそらく急にディベートが消えてしまうことはないだろう。一方、ディベートはまだまだその普及が限られており、JDAは自身を組織として安定させ発展させるとともに、日本のディベート教育を先導しさらに発展させていく使命があると言える。

 私は1994年度から2000年度まで会長を務めさせていただいた。この間、JDAは名称を変えただけではなく、日本語ディベート大会や国際議論学会の開催、メーリングリストやウェッブの導入など新たな展開を経験した。これは私が会長としてリーダーシップを発揮してきたのではなく、周りで支えてくださった理事や会員の方々の提案であり、実行の努力のおかげである。また、メーリングリストやウェッブのように時代の趨勢というものもあった。私はどちらかというと調整役としての会長であったと思う。「調整役」として好意的にとらえていただくか、優柔不断にして改革・発展を遅らせてしまったと批判的にとらえていただくかは当時を知る人々の判断に委ねたい。

 さらに個人的な話をここで紹介すると、私の経歴の節目にJDAとのかかわりがあった。設立当時ちょうど筑波大学大学院の修士課程を修了して福岡教育大学の専任教員(助手)として就職が決まっていたので、数少ない日本人大学教員として副会長の一人をおおせつかった。その後、ハワイ大学留学を経て博士論文(ディベートについて)のめどもついた時に会長を引き受けることになった。その後すぐに九州大学助教授になったので、そういう肩書きも何かの足しにはなっていたのかもしれない。会長を辞してからは、公私ともに忙しくなったと言い訳をして理事として本部の仕事にほとんど貢献していないのは申し訳なく思っている。

 それでも九州(福岡)ではどうにか活動を続けてきた。2001年にはJDAディベート大会を唯一東京以外で開催し、九州大学を会場校として実行委員長を務めた。2003年にはJDA九州支部を発足させ、支部長を務めている。また、九州大学でも日米交歓ディベートのホストに毎回なり、ディベートの授業をしたりディベート・クラブを作ったりと少しはディベートの普及に貢献してきたつもりである。今年の夏は海外(台湾)で日本語(外国語としての)ディベート教育関係者や学生向け講演会や研修会の講師を務めてきた。帰国して10月にはイギリスのディベート・チームを迎えたり、昼休みに英語でディベートの練習会を始めたりと忙しくしている。

 こういったことはほとんどがボランティアであり、本務以外の仕事となっている。もちろんディベートが大好きだからやっているのであり、おそらくJDAの会員の多くが各地で同じような、また私以上の活動を行っておられると思う。ただし先に書いたように、あまり個人の努力、好きだからできる、というやり方に頼っていると、組織や制度としての発展は期待できない。オタク文化、サブカルチャーで終わってしまう。社会や教育の表舞台でさらに認知され発展していくためには、好きだからできるというような段階は乗り越えていかなければならない。

 ではどうすればいいのか。ケースはあるがプランがないではないかとお叱りをうけるだろう。ケースも怪しいという声もあるかも。中年おじさんの随想として許していただきたい。

(いのうえ ならひこ JDA理事 九州大学教授)

 


JDA20周年に寄せて

4代会長(2000-2003)
鈴木 健

 四代目会長の鈴木です。日本ディベート協会(JDA)20周年は、設立からここまでの発展に関わってきた人たち全てにとっての慶事だとお喜び申し上げます。現在、フルブライト研究員として南カリフォルニア大学コミュニケーション学部客員教授として1年間をロサンゼルスで過ごしております。20周年記念式典には参加できませんが、これまでの活動に協力していただいた会員、及び理事会の皆様にこの場をお借りして心より感謝の意を示させていただきます。学生時代にディベート・コーチとして指導いただいて以来、お世話になっている初代会長松本先生、ノースウエスタン大学大学院の先輩で二代目会長中澤先生、直接に副会長としてお仕えした三代目会長井上先生の後を次いで、3年間(2001?2003年)自分なりにがんばらせていただきましたが、今どれだけのことができたか振り返ってみると冷や汗が出る思いです。

 ある程度、自分が関わることで道筋をつけることができたJDAの活動というとディベート・セミナーと国際議論学学術会議(通称、東京議論学会議)でしょうか。この原稿を書いている間に、JDA主催のディベート・セミナーが39回目を迎えたというニュースが入ってきました。私と矢野現会長が講師として、第1回セミナーを(株)バベルの教室をお借りして行ったものが、ディベート普及委員会を経て、セミナー委員会の皆さんの努力で代々木の青少年オリンピックセンターを中心に、全国展開するまでになったのは大きな喜びです。国内における日本ディベート協会の認知度を大きく高めてきた活動であり、生涯教育の一環としても社会的に意味のある活動だと思います。

 もう一つの思い出は、副会長時代にJDA15周年記念事業として2000年に大会実行委員長として運営したアジア初の第1回国際学術議論学学術会議(東海大学教育研究所共催)です。第1回は、世界7カ国から約45本の発表があり、1日目のスペシャル・セッションの参加者を含めると100名を超える参加者がありました。再び、大会実行委員長を務めさせていただいた2004年の第2回大会(津田塾大学言語文化研究所共催)では、世界10ヶ国以上から約75本の発表があり、参加者も200名以上にまで増えました。現在では、英語名称の The Tokyo Conference on Argumentation と言えば、米国のディベート・コーチ出身コミュニケーション学者、ヨーロッパの議論学学者の間で知らない人がいないほどの知名度があります。2008年度に第3回国際議論学学術会議の開催を予定していますが、さらに質量共に充実することが期待されています。

 最後になりましたが、80年代に英語ポリシー・ディベートをしていた人間には、現在の日本語ディベートとパーラメンタリー・ディベートの隆盛には隔世の感があります。21世紀中には、こうしたディベート活動の相互参加が進んで、日本のディベート活動の黄金時代を迎えることができると祈願しております。

(すずき たけし JDA理事 津田塾大学助教授)

 
 
 
Letters from Former Coaches of Japan-US Exchange Debate

Congratulations and Long Life to Debate in Japan


G. Thomas Goodnight

Professor
Annenberg School of Communication
University of Southern California

The 20th anniversary of the Japan Debate Association is a time for celebration, and I send my best wishes and greatful thanks to Japanese students and faculty whom I have known over the past quarter of a century as I travel to Japan for conferences and students to the United States for debates and graduate study.  In the summer of 1982, the world was protesting nuclear weapons, my first son was born, and I first visited Japan.

The Committee on International Discussion and Debate pioneered international exchange of debaters with Oxford in England, teams from the Soviet Union, and an exchange with Japanese Debaters.  Doug Cotton from Loyal in Los Angeles and Mary Nadworny the debaters and I travelled that summer from Tokyo to Nagasaki and to Hokaido and back.

We visited English Speaking societies in the great cities, thriving smaller towns, and rural areas across the country.  Each place had a distinctive style, but in common argumentation was vigorous, hospitality was graceful, and men and women debaters argued with great passion in defending their positions. It seemed that students had found debate to be a way to practice English.  It was useful especially to science students who mastered a language that encouraged precision and clarity surrounding analytic and factual discussion.

The gracefulness, patience, great organizing efforts, and energy of debates impressed me across six weeks of travel as I arrived to lecture, judge debates, hear speeches, and tour--then depart, always too soon from good friends.  Yet over the years the students with whom I have worked have continued the strength of debating, and the conferences which have explored ever more deeply the arts of argument embedded in aspects of  traditions within Asian culture and history. Congratulations JDA!

You have discovered, created and debated worlds of great study over the years.





Congratulations on the 20th Anniversary of JDA

 
Thomas Hollihan

Professor and Associate Dean
Annenberg School for Communication
University of Southern California
 

Dear Members of the Japan Debate Association,

I am writing to extend my most heartfelt congratulations to the members of the Japanese Debate Association as you celebrate the 20th Anniversary of your esteemed organization.  The JDA has been profoundly important to the development of debate training in Japan and also in the emergence of academic research in argumentation.

My own involvement with the JDA goes back to the earliest days of your organization.  As the director of the debate program at the University of Southern California, I hosted several delegations of Japanese debaters on my campus.  I was profoundly impressed by how articulate and well spoken these debaters were, by their mastery of debate theory, and also by their knowledge of the topics debated.

In 1997, I had the good fortune to accompany the US debate team (Kate Shuster and Scott Ruthfield) on a tour of Japan.  My debaters competed in 23 debates, and I gave 23 lectures in a month.  We were able to visit cities across Japan where we enjoyed phenomenal hospitality.  I am especially appreciative of all of the hard work that Professor Yoshiro Yano did in hosting and coordinating that exchange.

In 2000, and in 2004, I was back in Japan as a participant in the Tokyo Conferences on Argumentation.  These visits gave me an opportunity to reconnect with the many friends whom I had made during my debate tour, and also to observe again the tremendous progress that argumentation scholarship has made in Japan.

I look forward to my next visit, and I salute you for your tremendous achievements over the past two decades.





20th Anniversary of the Japan Debate Association

Gordon R. Mitchell

Associate Professor of Communication / Director of Debate
University of Pittsburgh

 

All the members, past and present, of the Japan Debate Association have a great reason to celebrate! Thanks to their 20 years of careful nurturing, the argumentation and debate community now has a precious gift -- an academic society committed to rigorous scholarship, spirited contest round competition, and rollicking karaoke! As someone who has been very fortunate to experience all three of these treats first hand (through the CIDD debate exchange and Tokyo Argumentation Conference), I applaud the JDA and tip my hat to all hard-working and fun-loving JDA people, near and far.

 

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